トラキア人

紀元前1000年頃のトラキア人は、欧州で最大人口を誇る民族の一つに数えられました。多くの部族に分かれたトラキア人は、主にバルカン半島の東部に住み、ごく一部が小アジアの南西部に分布していました。最も強力な部族には、トラキア南東部のオドリス族、ロドピ地方のベッシー族、現ブルガリア北東部のゲタイ族、現ブルガリア南西部のトリバリー族、そして小アジアのビティニー族などがあります。トラキアの豊かな平地で農業が発達しており、山地では家畜が栄えていました。採鉱、冶金、皮産業、木工なども盛んでした。戦争は日常的に行われていました。

考古学調査を通して最も頻繁に触れるトラキア文化は、大規模な丘を利用した豪華な墳墓です。ブルガリアで発見された墳墓の数は1万~6万とされています。その中でもその大きさから目立つのはスヴィレングラド市近くメゼク村墳墓です。また、すばらしい壁画で知られているものには、イスペリフ市近くのスヴェシタリ墳墓とハスコヴォ市近くのアレクサンドロヴォ墳墓です。

 多く出土する遺宝から、トラキア貴族の財力やその宗教生活を伺うことができます。その中でも特筆すべきは、多くの像が並ぶ、9つの黄金容器から成るパナギュリシテの遺宝です。規模が最も大きいのは、装飾が施された165つの容器から成るロゴゼン遺宝です。ルセ市近くのボロヴォ村で発見された遺宝はわずか5つの容器から成っていますが、その作りはたいへん高度なものです。ルコヴィト遺宝、レトニツァ遺宝には美しいフィギュアや馬の装飾が含まれています。